パークハイアット東京出身。リピート接客コンサルタント、奥 武志です。
この記事は、ビジネスとも顧客心理とも、一切関係のないものです。
集客、リピート、売上、顧客満足、ファン作り。
そういった、私がいつも発信している内容ではないことを、先にお伝えします。
一人の人間として、どう生きていくべきか?
奥なりに、考えていることを、つらつらと書いて行きます。
誰かに押し付けるつもりもなければ、正解でもありません。個人的な主張です。
なお、際どい表現も含まれるため、疲れている方は、ここで記事をそっと閉じてください。
目次
許せない!と感じる出来事が起きた時
この記事のテーマは、シンプルです。
「あいつは許せない!」
そう感じるトラブルや揉め事が発生した時に、どんな振る舞いをすると良いのか?です。
冒頭でも言った通り、この記事が正解というわけではありません。
というより、正解なんて、神様以外には、わかるはずもありません。
全ての真実を裁けるのは、神様だけ。
それができないから、法治国家には、法律があり、調停や裁判があるわけです。
ですので、この記事は、あくまでも、奥の個人的な見解です。
これを読んで、あなたがどう感じ、どう判断するかは、あなたが決めてください。
どう感じても良いし、同じ価値観の人同士で、今後も一緒にいれば良いですしね。
ある事例をピックアップしますが、あくまでも今まで、私が以前から思っていたことを書く、キッカケになったというだけ。
その事例そのものに対して、良いも悪いも判断しませんし、できる立場にありません。
ですので、反論をいただいても、基本的にはスルーさせていただきます。
本題を語る前に、伝えたいこと
この記事を書きたいと感じた出来事があった。それは事実です。
ですが、この記事は、特定の誰かを誹謗中傷したり、責めるためのものではありません。
また、センシティブな内容でもあります。
よって、個人名や出来事の詳細は一切、書きません。
個人名や、出来事の詳細を書くことで、むやみに一方的な捉え方をする人が、増えることを、私は望まないからです。
ただ、似たような出来事が起きた時、どう考えると良いのか?そのヒントになればと願っています。
そのため、あえて詳細は濁して、抽象論も含めながら書きます。
何度も言います。この記事そのものが、正解発表をする記事ではないことを。
これを読んで、あなたがどう感じ、どうすると判断するかは、あなたが決めてください。
実際にあった出来事の経緯
ある日、あるところで、あるトラブルが発生しました。
トラブルがあったのは、仮にAさんとBさんします。主たる登場人物は、このお二人。
私は、第三者の無関係な人間なので、事実は知りません。
あくまでも、SNS上に流れてきた言葉で、知ったまでです。
Aさんには、不誠実と思われる疑惑が、浮上しました。
疑惑の内容は、事実であれば、刑事事件に当てはまる恐れがあるもの、民事事件に当てはまる恐れがあるもの、両方があったようです。
(あくまでも、事実ならばという意味で、事実かどうかは私には判断できません。)
Bさんは、その不誠実と思われる出来事の一部により、迷惑を被ったとのこと。
さらに、Aさんの悪事(と周りから言われたこと)が、第三者から情報提供されたとのこと。
その結果、Bさんは、非常に憤慨されたそうです。
確かに、表立っていることが事実ならば、問題が非常に大きいだろうと、私も感じました。
しかし、ここまでは、個人個人のトラブルなので、奥は静観していました。
当事者ではない者が、とやかく言うべきではないと、私は考えているからです。
ところが、この記事を書こうと思った出来事が、そのあとに発生しました。
Bさんが、こうした事実(と思われること)を、SNS上で公表されたのです。
すると、、、
その投稿を見た方々が、追随するコメントをたくさん、入れました。
そこには、Aさんに対する罵倒、批判が、多数、入っていました。
さらには、それが拡散されて、インターネット上にどんどん広がっていきました。
その状況を見ていて、色々と感じてしまったのです。
論点1「トラブルが起きた当事者同士」
この出来事の論点は、大きく分けると、2つあります。
1つめは、トラブルになった当事者同士で、どうすべきか?
2つめは、トラブルの当事者ではない第三者は、どうすべきか?
まず、1つめの当事者同士です。
どんな出来事でも、立場によって、状況によって、利害関係によって、見え方が変わることがあります。
価値観によって捉え方も変わるし、第三者から提供された情報には、ウソの情報が含まれることもあります。
よって、何が真実かは、一言で言い切れないのが、世の常です。
事実は変わらないけど、様々な事情によって、真実は変わる。そんな感じでしょうか。
そういうことは、きっと今、これを読んでいるあなたの人生でも、たくさんあったと思います。
例えば、自分はそういうつもりではなかったのに、相手は違って受け止めて、ケンカになったとか。
仕事関係でも、夫婦関係でも、恋愛でも、友人関係でも、たくさんあるはずです。
だから、そこは正直、どうでもいいと、奥は思っています。
第三者に、カンタンには、理解できるはずもありません。
ただ、そんなことよりも大事なことは、揉め事やトラブルや意見の相違が起きたとき。
まずは、当人同士で正々堂々、トコトン話し合う。
これが、あってほしいと思うのです。大前提として。
トラブルが大きくなる場合、ここが不十分なケースが多いから。
その上で、1つの事実に対して、AさんとBさんがトラブったとき。
Aさん「私はこう感じる」
Bさん「いや、私はこう思う」
Aさん「えっ?そういう捉え方するの?」
Bさん「えっ?そう思わないの?」
Aさん「それは違うと思う!!」
そうして意見を出しあって、誤解があったなら解いて。
それでも、どうにもこうにも埋まらない溝。その溝をどうするのか?
縁を切るのか、トコトン戦うのか、そこで終わりにするのか、調停や裁判をするのか、和解するのか、色々ある。
場合によっては、第三者を入れて、話し合っても良い。
そうしていくと、最初は10のサイズの話だったものが、1とか2になったりもする。
肝心なポイントは、実は、その1や2だけだった。
そういうことは、本当によくあります。
だから、誰かとトラブルになった場合、SNSのような公の場で公開する前に。
できれば、話し尽くして欲しいと思うのですね。
なぜなら、フェアではない論争が、巻き起こってしまい、トラブルが泥沼に入りやすいから。
「物事には本来、良いも悪いもない。どう意味づけするかだけ。」
よく、こんな言葉をネット上で見かけますが、結局は、どっちが悪いのかって論争になる。
正義なんて人それぞれ違うだろうし、自分の正義を信じればいい。
ただ、やっぱり、それを主張するのなら。
「当人同士で、ちゃんとトコトン話し合う。話し尽くす。」
これがあって初めて、成立する感じがします。
それをしないなら、本気で人と向き合うってことにはならないんじゃないかな?
私は、そう思っています。
論点2「当事者同士ではない第三者」
2つめは、当事者ではない、第三者です。
こちらも同じく、どんな出来事でも、立場によって、状況によって、利害関係によって、見え方が変わることがあり。
価値観によって捉え方も変わるし、第三者から提供された情報には、ウソの情報が含まれることもあります。
周りの人たちが、やんややんやと、ここぞとばかりに乗じて言うと、問題が20にも30にもなりかねません。
トラブルって、周りが問題を大きくするものだったりもします。
当人同士の話し合いが、不十分なまま、第三者の人たちが、
「私もAさんはおかしいと思ってました!」
「私もAさんのここが変だと思ってた!」
「いや、Bさんだってここがおかしい!」
「そうだ!俺もBさんは変だと思う!!」
そう大騒ぎするから、ぐちゃぐちゃの泥沼になりやすいんですよね。
仮に、そう思ってたなら、直接Aさん、Bさんに言えば良いと思うのです。
どうしても言えないなら、誰かにお願いして、言えば良い。
トラブルの炎上に乗じて、批判というガソリンを撒くのは、あまり好ましいとは、私は感じません。
完全な第三者なのに、すぐに信じてあれこれ批評するのは、思考停止に近いとも、私は思います。
中には、便乗した人だって、AさんやBさんから、恩恵をもらっている人もいるでしょう。
そういう人は、自分にメリットないとなったり、期待と違ったことが判明したら、その感謝は、消えて無くなるものでしょうか?
本来は、恩義や感謝は、そう簡単には、消えないと思うのですね。
(モチロン、だからと言って、AさんやBさんが、何をしても良いという意味ではありません)
まあ、何にしても、なんとか建設的な方向に進めたい。私はそう思うタチというだけです。
「私刑」という考え方
ところが、現代では、インターネットが発達して、暴露、誹謗中傷、批判、正義の主張などが、個人間で公になりやすいです。
その中で、どちらかが正義で、どちらかが悪とされると、「私刑」ということが起きます。
つまり、個人が個人を裁き、反省を促し、罰を与える行為です。
ただ、この私刑は、たくさんの問題点をはらんでいます。
まず、調停や裁判のように、公的な場で、公平な第三者が裁いたものではないため、単純に、数の力のある者の方が、一方的に勝利しやすいという点。
証拠の精査もされず、客観的な判断や理論より、主観的な判断や感情論が重きを置かれやすい点。
罰を与える側も、不特定多数になりやすく、過剰に罰を与えてしまうリスクがある点。
集団心理によって、みんなで寄ってたかってになると、歯止めが効かなくなる点。
(集団心理の部分は、子供のイジメと似たような流れになります。)
本来は、刑事事件、民事事件の違いがあるはずなのに、ごちゃごちゃになって「罪人扱い」とされてしまう点。
他にも、色々とあります。
だから、SNS上に批判を上げると、偏った結果になりやすいのです。
これが、かなりキケンだなと、私は感じます。
そして、私刑には、もう1つ、リスクがあります。
それは、私刑をしようとした側にも、名誉毀損にあたってしまう恐れがある点です。
私は、法律家ではないので、素人が書いた一般論として、お読みいただけたら幸いです。
(理解の誤りがある場合、法律家からのご指摘は真摯に受け止めて、即座に訂正します)
名誉毀損は、他人の名誉を傷つける、不法行為や犯罪の事です。
公然と(不特定多数または多数の第三者が見ている場で)事実を摘示し、人の名誉を既存した時に成立します。
これは、公にしたことが、事実かウソかに関係なく、適用されます。
「私は、本当のことを言っているだけだから。」
実は、この言い分は、関係がないのですね。事実だとしても、公に書いてはいけないのです。
そして、名誉毀損には、損害賠償責任が生じる「民事事件」と、懲役や罰金を課せられる可能性がある「刑事事件」があります。
すごく、大雑把に言えば。
人の陰口を複数の人に言いふらしたり、ネット上に晒すと、刑法上の犯罪者になる恐れがあるのです。
めちゃくちゃ気軽に、人の悪口を言う人がいるけど、冷静に考えると、陰口って、かなりヤバい行為です。
以上の点から、当事者だろうと、第三者だろうと。
公的な場でのやり取りでもない限り、常に、自分が不法、または犯罪行為を無自覚に、やってしまう恐れがあるということです。
その意味でも、安易に情報をすぐ信じて、批評を繰り広げるのはやめた方が懸命です。
この下は、オマケ↓
法律は、大きく分けると、この2つが私たち素人に理解できる区分けですね。
・いわゆる犯罪、罪になるかどうかが決まる刑法
・個人間の争いで、責任がどちらにどうあるか判断する民法
例えば、人を明確に騙して、利益を不当に取得したら、詐欺罪の恐れで。(刑事)
借金をなかなか返済しないのは、刑法には触れず、民法で判断される。(民事)
田舎道の車がこない交差点で、赤信号だけどどう考えても安全だからと渡ったら、道交法違反の犯罪。(刑事)
NHKの受信料を払わない場合は、刑事罰はなく、民事裁判で請求されるだけで(民事)
テレビを持っているのに、持っていませんとウソをついたら、詐欺罪の恐れ(刑事)
こんな感じで、実は、法律って、素人にはややこしいです。
民事の案件まで「あいつは罪人だ!」と裁こうとする人が、多い気がしますが。
厳密には、かなり違いがあります。
民法に当てはまることは、罪ではありません。あくまでも、個人間のトラブルを判断するものです。
刑法に当てはまるものだけが、いわゆる罪です。
もしあなたが、誰かを罪人だと言いたくなったら、それはどれに該当するのか?
冷静によく考えてみるのも、必要かもしれません。
(正しい情報は、専門家に聞いてくださいね。弁護士さんって、やっぱりすごい!)
※ただし、公共の利害に関する事実で、その目的が公益を図ることにある場合は、名誉毀損の例外となるそうです。だから、政治家のような公人の場合だけは、雑誌でスキャンダルを書かれるわけですね。一般人は適用されませんよー。
※ちなみに、何があったかの事実を言わずに、「あいつは頭がおかしいアホだ!」のように、バカにする表現で侮辱したら侮辱罪。似ているけど、ちょっと違いますね。
正義を振りかざす前に、ひと呼吸
「本来、物事には、良いも悪いもない。」
この考え方は、私もある程度、賛同しています。
でも同時に、じゃあ何をやってもオッケー!になれば、社会は成り立ちませんよね。
このハザマは、非常に深い問題です。
例えば、極論を言ってしまうと、戦争は、人をあやめても裁かれません。
道徳的にも、感情的にも、私は1ミリも許容できませんが、戦争では、あやめてはいけないルールがないから。
戦争中なら、人をあやめても罪にならず、むしろ場合によっては、賞賛されます。非常に悲しいことに。
お互いの正義を主張し合うことで起きる戦争は、相手をあやめて勝つことが、正義になる。
正義とは、いったい何なのか?考えさせられますよね。
正義って、必ずしも、100%素晴らしいとも、言い切れない側面も含まれています。
だから、正義の主張のしあいって、すごくキケンな部分もあるんですよね。
主張してはダメとは言わないし、しても良いけど、そのやり方が、ね。。。
※不思議なことに、毒ガスなどの毒性化学物質、化学兵器は、条約で禁止されていたりするので、戦争でさえも一定のルールはありますが。あやめるのにルールって、なんか変なの!!
しかし、戦争をしていない場合は、人をあやめれば、罪になるし裁かれます。
180度、結果が違うのは、なぜなのか?
法律というルールで、すべての判断が、変わるからですよね。
私たちは、なんとなく生きているけど、日頃から、法律というルールに守られて生きています。
この世に、法律というルールが1つもなければ、まさに無法地帯になり、人間は滅びるでしょう。
だから、国によって、時代や状況によって違いはあっても、一定の法律というルールがあるわけで。
だから、法律を守ろうね、ということになっているわけです。
ただし、「私刑という考え方」の章に書いた通り!
法律にも色々あるから、考えるときは冷静に、丁寧に判断しないと、それもまたキケンです。
まあ、とにかくです。
正義を振りかざすなら、振りかざしても良い場で、振りかざしても良い方法でやらないと、自分が裁かれる恐れもある。
だから、感情的になって、あちらこちらで噂話を吹聴したり、公に示したりするのは、やめた方が良いかなと思います。
悪い奴を懲らしめようという正義感でやったら、自分が名誉毀損罪で、犯罪者になっちゃった!!
これでは、相手も自分も周りも名誉がなくなり、誰も救われません。悲しすぎます。
だから、簡単に私刑で人を裁いたり、公然と批判を繰り広げたり、しない方が良いのです。
奥自身にもあった辛い経験
他人の事例ばかり書くのは、フェアではないので、自分自身のことも書きます。
なお、この件は、冒頭で紹介した、AさんBさんのトラブルとは、一切関係ありません。
あくまでも、奥自身の経験談を、事例にする目的だけです。
私も、散々陰口言われたり、ウソの噂話を撒き散らされたり、色々経験してきました。
SNS上で、個人名までは書かれたことはないけれども。
関係者なら、あれは奥武志のことだ!とわかるように、ギリギリの表現で書かれていました。
ちなみに、陰口、誹謗中傷や、吹聴されている噂話は、思いっきり名指し。
それはそれは、清々しいほど、名誉毀損120%でした(笑)
巡り巡って、ほとんどが私の耳に、入ってきたので、判明しました。
ごく一部には、事実も含まれていましたが、恐ろしいほどに誇張されていました。
「どれだけ想像力、豊かなんだ?」
「よくここまで思いつくな・・・」
そう驚くほどに、悪い表現に捻じ曲げられていたり、捏造も数え切れないほどありました。
(ウソを真実だと誤解している人から直接、文句のメールが来たこともあります。お前、誰やねん!とツッコミそうでした、笑)
正直なところ、酷いウソばかりなので、SNSに書くべきか?と一瞬、考えました。
でも、泥沼になることは目に見えているし、フェアにやろうと思いました。
SNS上に書いても、相手は譲歩しないだろうし、周りの人が見たって、どっちが本当のことを言っているかなんて、判断できないですしね。
一方的にSNSに書くという、フェアではないことは、やりたくなかったのです。
ただ、具体的な金銭的な損害も出ていたし、私の周りの人にもかなりの迷惑がかかっていた。
百歩譲って、私個人への攻撃だけなら良いけど、周りの人を巻き込むやり方は、許せませんでした。
しかも、相手のやり方は、明らかに民事、あるいは刑事でも、NGになりうるやり方でした。
だから、弁護士さんにも相談して、これ以上続けたら、訴訟しようと準備しました。
弁護士さんも、法的には、相手のやっていることは悪いと判断される可能性があると、言っていました。
でも、最終的には、それさえもやめました。
その代わり、この人は!と思う人とは、
正々堂々とタイマン張って、話しました。
当事者の相手にも、関係者にも、自分の主張は直接伝えたし、相手の意見も聞きました。
もちろん、譲れないものは、譲りませんでしたが。
その結果、解決したこともあれば、解決したかと思ったら、また陰でコソコソ言われて
「あーこの人は、何を言っても無駄なんだな。」
そうなった人もいます。
ちなみに、別件で、コソコソと噂話を垂れ流す人に、
「ウソか本当かも確認せずに、吹聴するのはやめたほうがいいよ!」
そう伝えたことがありますが、他人の噂話が好きな人は、いくら言ってもやめませんね。
当事者も含めて、もうこれは、クセのようなものなんだ。
他人の悪口を陰で言いふらす人は、自信がないから、味方を増やしたい。可哀想!とみんなに言って欲しい。
自分の正義を認めて欲しい。私、スゴイでしょ?と思われたい。だから、ずっといい続けるんだ。
それがわかったから、あとは放置することにしました。
そもそも、人の陰口を言う人って、
別の場所では、また別の人の陰口を言います。
絶対に。
例えば、Zさんがあなたに、こんなことを言ってきた。
Zさん「●●さんって、こういうところがあるんだよ。酷くない?」
あなた「えー!そうなの?●●さんって、酷い人だねー!ありえない」
あなたが、うっかりこう共感したら、、、
陰口が好きなZさんは、別の場で、今度はこういうことを言いふらします。
「そう言えば、あの子(あなた)が、●●さんって酷い人だって言ってたよ!」
「でもさ、あの子(あなた)もさ、コレコレこういうところ、微妙だよね!」
まるで、あなたが●●さんの悪口を言っていたように話したり、あなたの陰口を言ったり。
陰口が好きな人をたくさん見てきましたが、基本的には、みんなこういうことをやります。
だから私は、陰口が好きな人とは、一切、関わらないと決めました。
誹謗中傷を流されるのって、やられたことがある人でないと、わからないほど、精神的なダメージを受けます。
「まあ、気にしない方が良いですよ♪」
そう励ましてくれた人もいましたが、これは経験しないとわかりません。
「気にするということは、思い当たるフシがあるということでは?」
そうアドバイスをくれた人もいましたが、真実ではないからキツイのです。逆です。
私の場合は、ほとんどがウソばかりでしたが、それでも非常に苦しかったですね。
仮に、その誹謗中傷が、事実に基づく内容がほとんどで、自業自得だったとしても、、、
それでも、精神的、肉体的に、一気に病んでしまうほどのチカラがあります。
スピっぽいですが、誹謗中傷や悪口って、恐ろしいほどのパワーがあると知りました。
(不眠、原因不明の体の痛み、耳鳴り、精神の不安定など、不具合はかなり発生しました)
まあ、結果は色々でしたが。
正々堂々と、相手に向き合い、主張すべきことを主張し、問題に向き合い、守るべき人を守った。
そう自負できるところまでは、やれたかなと思います。
人の良い噂を流すことが大好き!と思う人とだけ、お付き合いして行きたいですね。
※今は当時と違い、会社経営をしているので、今後またこういうことがあったら、経営者として会社を守るため、法的手段は取れるようにはしてあります。
被害者のキモチに思うこと
そう言えば、先日、ご年配の方が運転する車が暴走して、親子の命が奪われてしまったという事件がありました。
そのご遺族が、会見でおっしゃっていた言葉が、脳裏に焼きついています。
よく行く公園で、私も仕事が休みの日は一緒に行ってピクニックして、ランチを芝生の上で食べたり、お茶飲んだり、そういったことをよくしていた。
本当に当たり前の毎日は、こんな事になると思ってなかったので、ただただいつもどおりの生活をしていた。
妻は僕が持っていないものをいっぱい持っていて、優しくて、もう本当に子ども思いで、すばらしい女性だった。
(娘は)年明けぐらいに数字が1〜10まで言えるようになった。ABCDEFGと覚えることが楽しいようで、一生懸命歌っていた。私にとって本当に宝物で、何にも変えられない存在。その日の昼休み、妻と娘とのテレビ電話が最後の会話だったと言います。
この数日間、何度もこの先、生きていく意味があるのかと自問自答した。
しかし同時に、今回の事故での妻と娘のような被害者と、悲しむ遺族を今後絶対に出してはいけないとも思った。
少しでも運転に不安がある人は、車を運転しないという選択肢を考えてほしい。また周囲の人も本人に働きかけてほしい。
家族の中に運転に不安がある人がいるならば、いま一度、家族内で考えてほしい。少しでも交通事故による犠牲者がいなくなる未来になってほしい。
=====
事故現場の献花台にあふれるほどの花を手向けてくださった皆さま、妻と娘に寄り添い、心を痛めてくださっている皆さま、皆さまの温かい心に本当に感謝しています。
最愛の妻と娘を突然失い、ただただ涙することしかできず、絶望しています。
娘がこの先どんどん成長し、大人になり、妻と私の元を離れ、妻と寿命尽きるまで一緒にいる、そう信じていましたが、たった一瞬で私たちの未来は奪われてしまいました。
悔しくて悔しくて仕方がありません。この悔しさはどれだけ時間がたっても消えないでしょう。
妻と娘は本当に優しく、人を恨むような性格ではありませんでした。
私も2人を尊重し、本来ならばそうしたいです。
ですが、私の最愛の2人の命を奪ったという、その罪を償ってほしいです。
これを読んで、涙が出ました。
この記事を書いている時点では、運転していた人は、まだ逮捕されていないため、犯罪者ではありません。
運転していた人にも事情があるかもしれない。それは、今後の捜査で判明するでしょうから、論じません。あくまでも一例です。
しかし、この件に限らず、車の事故によるものは、一般的には、刑事事件に該当しうる場合が多いです。
もしかしたら、ご遺族の心の奥では、報復をしたい気持ちが、ゼロではないかもしれません。
もし、私が同じ立場なら、相手を恨んでしまうだろうし、やってはいけない報復が、頭を一瞬、かすめるかもしれません。
これはもう、キレイゴト抜きで。感情論のみです。
でも、それをやったら、自分が加害者になり、犯罪者になり、家族を悲しませる結末になる。
法治国家・日本では、報復は許されていない。
想像を絶するほどの苦しみが、あるだろうと思うし、被害者側は悲しくて悔しいけど、それが今の日本のルール。法律です。
話を戻して、個人同士のトラブルの場合。
そこにも、被害者と加害者という立場に、なる可能性がある人が、関わってきます。
でも、刑事事件になりうるなら、刑事告訴できるし、民事で訴えることもできます。
ただ、いきなりそれは、あまりにもコトが大きくなるから、その前に。
1:当事者同士は、SNSで拡散する前に、まずは当人同士でトコトン話し合う。
2:それでダメなら、調停なり裁判なりで、法的なやり取りをする。
それでも納得できる結果が出ないなら、百歩譲って、最後の手段として、、、
SNSで書きます!と相手に事前に伝えて、正々堂々と、お互いフェアに主張し合う。(なるべく避けたいやり方だけど)
そして第三者は、アレコレ便乗しないで、静観しておく。大切な人のことなら、正しい方法で手伝ってあげる。
これが、まずは理想的なんじゃないかな?私はそう、個人的に結論づけました。
最後に(まとめ)
今回、事例にあげた件では、私は、AさんBさん、どっち派でもありません。
ただ、Aさんにも、反省すべき点があると思います。
別の案件では、Bさんと同じように、公の場で、別の人のことを書いていたのを、見たことがあるから。
それはそれとして。
Aさんにも、Bさんにも、素晴らしい面がある方々です。
だから、できれば、そのトラブルが、当事者同士で解決してくれることを、陰ながら願ってやみません。
(というこの私の見解も、あくまでも一部の情報しか知らない第三者なので、この記事に詳細を書かなかったわけです)
偉そうに言っている私自身も、過去に人を傷つけたことがあるから、自戒を込めて書いています。
長々と書きましたが、最後にもう一度、まとめです。
当事者同士なら、とことん話し合う。文句を言いたいなら、SNSで書くより、直接言う。話し合いがダメなら、公的な場で主張し合う。
(正々堂々と言えないなら、グダグダ言わない!)
第三者なら、野次馬をしない。当事者でもないのに、好き勝手言わない。全ての情報を持っているわけでないのに、勝手に裁かない。
(野次馬根性丸出しだと、たとえ正論でも、みっともない!)
これが、周りにいちいちブレさせられない軸、在り方なんじゃないかなと思います。
なお、この記事を読んで、
「そうそう!奥さんその通り!だからあの人の考えは間違ってると思います!」
どこかにそう書きたくなったり、言いたくなったら、キケンです。
だからそれ、思考停止ですってば。
(この記事、もう一回、読んでくださいね。笑)
共感はしても良いし、私個人に、そういうメッセージを送るだけなら、ウェルカムです。
でもそれ以外の行動は、どうか丁寧に。
脊髄反射のように、すぐに噂を信じたり、すぐにレッテルを貼ったり、すぐに人を裁いたり、すぐに陰口を言ったり。
そういうのはもう、みんなでやめて行きませんか?
このクセをやめない限り、小さな戦争は、これからもずっと、続いてしまいます。
じゃあ、どうすれば良いのかは、この記事に書いたつもりなので、何度か読んでみてください。
そして、これを読んで、あなたがどう感じ、どう判断するかは、あなたが決めてください。
もし、この内容に賛同できないなら、単純に、あなたと私は価値観が、著しく合わないというだけです。
お互いに別の世界で、自分の信じる価値観が通じる世界で、楽しく生きて行きましょう!
逆に、この内容に賛同する方は、今後とも、仲良くしてくださいね。
わたくし、奥 武志は、
争いが、キライです。今後も、良いうわさ話ばっかり、垂れ流して行きます。
愛の世界で生きたい。ただ、それだけです。
以上です。
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